• Department of Microbiology, Faculty of Medicine, Shimane Univsresity

西倉ラボの思い出(2)

ところが、1月のある日、西倉先生から思いがけないメールがきた。「取れると思っていたNIHグラントに落ちてしまった。このため、4月にはあなたをラボに受け入れることができない」これは晴天の霹靂の事態であり、なにせ退職届ももう出してしまっていて、留学と浮かれていたのがどん底に落とされてしまった。要は西倉先生が何パターンか考えた上で、私をポスドクに取ろうと思っていたのが、全部ダメになってしまったというわけだった。そこで、私は恩師の一人に泣きついて留学先を紹介してもらい、急遽、電話でインタビューをし、4月からニューヨークにあるマウントサイナイ医科大のSergio Liraのラボのポスドクとなった。このラボでは、遺伝子改変マウスの仕事を行なっており、大学院時代の自分の仕事と重なる部分も多かった。

そこで心機一転、遺伝子改変マウスの仕事をもう1度やってみようと決意したのだが、運悪く、非常にまずい時期にポスドクになってしまった。このラボは2002年にできたばかりで、まだ様々なシステムが十分にうまく回らず、色々な点で行き詰まっていたのだった。簡単なベクター作りに1ヶ月もかかる始末である。とても数年の留学の間に業績が出るような状況ではなかった。しかも妻の妊娠も発覚。このままでは、私と妻の二人とも倒れるかもしれない。留学から数ヶ月たったある日、縁があった西倉先生に色々と相談のメールを送ってみたのだった。すると、「別のグラントを取り、Qingdeさんもピッツバーグに移動するので、こちらに来ないか」という返事をいただいた。さすがに何十年もアメリカでラボを持っている人はタフであった。

留学後、あるきっかけで血液検査をしたところ、私はなんとマウスアレルギーを持っていることが発覚した。修士課程からマウス実験をしていたのが原因なのだが、留学で本格的にマウス実験をしていたら、おそらくアナフィラキシーで倒れていただろう。災い転じて福となす。研究には時々運も重要だと思う。

結局、西倉先生には2005年の10月から2009年の6月まで、お世話になってしまった。ちなみにこのラボで発現ベクターを作ったら、数日でできてしまった。システムが動いているラボに行くのは極めて重要である。西倉ラボでは当初の目的であった幹細胞の仕事はできず、その代わりに最新のmiRNA研究をすることができた。このラボでは、生化学の実験手法について、徹底的に鍛え直してもらった。これは今も私の財産である。さて、留学中は驚くことばかりだった。西倉先生はとにかく行動が早く、すぐに誰かに電話して、ちょっとしたお試し実験用の抗体などもすぐに入手できた。プロトコールの入手も早かった。あまりに行動が早すぎて、競争相手に情報が漏れかけるというおまけまであったが、とにかくこの点は助かることが多かった。留学中には、研究所内での引越しまで経験することができた。

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