• Department of Microbiology, Faculty of Medicine, Shimane Univsresity

西倉ラボの思い出(3)

西倉ラボでは、1週間に1回、教授とミーティング。週に1回、論文紹介プログレスリポートが隔週であった。ミーティング時には、コーヒーとクッキーが出ていて、西倉先生はよくクッキーを紅茶に浸していた記憶がある。ラボメンバーは、Weidong、Qingdeさんが抜け(一部重複)、私、Louis、河原さんなどのメンバーがいた。もちろん、少しづつメンバーは変わっていった。ここに、学部生のBoris Zinshteyn、Bjorn-Erick Wulff、 Edward Kreider、テクニシャンのSuiさん。その前は、女性のインド人の方(ウシャさん?だったと思う)であった。短期間だが、Wulan Dengも大学院のラボ探しで3ヶ月ほどいた記憶がある(この時の学部生、大学院生の何名かは、既にラボをもっている)。更に、数ヶ月だけポスドクをしていたVanvimon Saksmerpromeもいたのを思い出した。また最後の1ヶ月だけ、太田博允(当時ポスドク)さんと重複していた。

ラボ内はいろんな人がいて、アカデミックかつ自由な空気感があった。実験することには大抵、反対されることはなかったので、とにかく色々と実験をしていった記憶がある(諸事情あり、財政緊縮になったこともあったが)。

研究所が良かった点は、コアファシリティーがあったことだろう。FACS部門、たんぱく質発現部門、顕微鏡部門や、マス解析部門もあった。各部門の協力を得れば、短期間に効率よく仕事ができるのだ。またペンシルバニア大も近いので、これもよく使っていた(遺伝子シーケンス部門あり)。ポイントは午後5時までにこれらにサンプルを渡すことで、このために、頭をフル稼働させて、サンプルを調整していた。また夜、あまりにも遅くなると、ウィスター研究所の周囲は、フィラデルフィアの中でもかなりな危険地帯に位置するので、働く時間も考える必要があった。

そんな中、研究所内のラボ引越しというユニークな経験をすることになった。引越しはかなり丁寧にしたのだが、なぜか研究所内を移動しただけで冷凍庫だかCO2インキュベーターか忘れたが、機械が壊れてしまったのだ。そいうことがありうるのか?と思っていたのだが、日本に戻ってからも似た様な経験があった。意外と機械は微妙なバランスで寿命を保っていることもあるのだ。こういう時も西倉先生は冷静で、ブツクサ言いながらも、色々な手を打っていた(この姿勢は、いつも見習おうと思っている)。

ADAR1がRNA編集をおこす基質としてウイルスmiRNAを見つけた。次は、このmiRNAがウイルス感染で何をしているのか明らかにすることだった。先生と2人で、考えても考えても八方塞がりであった時、西倉先生から「あなたは手が凄く早くて、ベクター作りなども上手だけど、私の意見をハイハイ聞いているだけではダメです。もっと、何か自分で考えないとダメよ」と言われた。自分では考えていたつもりだったが、やはり不十分であった。

バイオインフォマティクスでmiRNAの候補遺伝子を予想し、その一覧をずっと毎日眺めなおしていた。すると、ウイルスmiRNAの標的遺伝子の上位にDicer1を見つけた時は「これだ!」と閃いた(違う遺伝子名で書いてあったので、データを見落としてしまっていた)。Dicer1はmiRNA産生酵素なので、いくらなんでもそんなバカなことがあるか?とも思ったのだが、生物学は時々常識外のことをする。なんとなく、非常に重要な発見をしたという直感がしたのであった。西倉先生に、この候補遺伝子の話をすると、「有名な遺伝子だからいけるって思っただけじゃないの?」と言われ、全く相手にされなかった。そこで、何回も予備実験を重ね、やっと研究のGOサインを得ることができた。このOKが出たときに、これが先生が言っていた意味かと、やっと理解した瞬間だった。結局、常識を上回ることがおきるのが自然界だ。ラボヘッドであるPIのアイデアよりも、実際の実験をしている人が常識から解放された時に、思わぬ発見をすることがあるのだ。これも西倉先生から教わった大事なことだろう。これ以来、変なデータでも気をつけて学生のデータは見るようにしている。

その後、別グループの仕事でもウイルスmiRNAはDicer1を標的にしていることが明らかとなり、またヒトmiRNAでも類似の報告があったので、最初に論文化できたのは幸いであった。様々なウイルスでDicer1は重要な防御因子であることが明らかとなったため、この論文は意外と引用件数が多くなっている。

思い返せば、私のようなRNA編集研究ど素人で出来の悪いポスドクとも、長い時間つきあっていただき、感謝の気持ちでいっぱいである。結局、ポスドクの仕事のおかでげ人生が開け、教授になることができた。

リタイア後も、あの笑顔満載で楽しい時間を過ごしていただければと思っている。研究者生活、お疲れ様でした。

 

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です